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2017/12/07 07:43

「和紙継ぎ紙」とは、平安時代から続く「王朝継ぎ紙」という和紙を重ね合わせた技法です。
それを作家活動50年を迎えた山下純一郎先生が発展させたものが「和紙継ぎ紙」の流派です。
(この流派に関しては後日改めて記載します)

石、陶器、ガラス花器など色々な分野で和紙が貼れるものならば
どんなものにも和紙継ぎ紙の技法が使えます。
その中でもなぜガラス花器を選んだのか。その理由を今日は綴っていきます。

 

理由その1 いけばなを習っていた過去があるから

ikebana

和紙継ぎ紙の基本的な技術を習ったあと、
何を専門にするかを聞かれたときにガラス花器を即決しました。
(一部陶器製のものも制作しています)

それはもともと「いけばな」を習っていたことがあり
花器の重要性と花器があるからこその花の活かし方や空間の活かし方がわかっていたから。

自分でデザインした花器でガラス花器、陶器問わず生けたいと思っていたこともあり
それならばガラス花器の方が扱いやすいし、何より光によって透け感がデザイン次第で
いくらでも変化を出せることに感動したからです。

 

理由その2 生活空間に合わせるガラス花器があまりない

glass vase7-1 glass vase11-1 glass vase10-1

家でもオフィスでも市販されているガラス花器はおしゃれすぎたり
生活空間や日常空間に適さない色だったり、大きさも適さないことがよくあります。

実際、和紙継ぎ紙を施したガラス花器をたくさんの人に見せたところ
同じような悩みを持っている人が多く、和紙継ぎ紙の作品を見せると
「すごい!」「美術作品みたい」「和紙でここまでできるの?!」と驚かれました。

生活空間に合わせるということはインテリアであるということに等しいです。
和室なら和の雰囲気を持たせたもの、洋室なら洋風なもの、
シックならシックな色合いで落ち着いたデザインのものなどが合います。

こういった幅広いデザインに対応できるのが和紙継ぎ紙のガラス花器の長所です。

HODOKOSUのブランドコンセプト「ガラス花器をインテリアに」は
ここから生まれました。

 

理由その3 飾る人の個性と感性を表すことができる

birdbox

海外の人は有名無名の芸術家を問わず、自分の好きな作品を家に飾り
来客に話をすることがよくあると聞きます。

それは自分の感性や感覚を人に知ってもらい、
自分というものを理解してもらう一つのツールとして利用しています。
来客した人もそれを知ることでその人がどういう人物なのかを知ることができます。
お互いにとって良いコミュニケーションのツールになっています。

ただ日本では有名な画家や広く知れ渡った芸術家でないと買わない、飾らないという
世界から見れば特殊な状況になっています。
自分も昔はそうでしたが、いざ自分が作品を作ってみて人に見ていただく機会が増えるにつれ
そういう現状は違うのではないかと思い始めました。

自分の家、もしくはオフィスに自分が好きなものを置けば良い。
ただそれだけのシンプルなことなのに、飾る人の自信のなさ、
業界で保証されないと飾れない自我のなさ、人の意見や印象を気にしすぎる。

それはそれでいいとは思いますが、それはあくまでその飾るものの価値がわかる人しか
通用しないことであり、多くの人はわかったような気がして相槌を打っているだけだと思います。

それならば自分が自信を持って、なぜその作品が好きなのか、惹かれたのか
買った経緯、なぜそこに飾っているのかを楽しく話してくれた方が
その人のことをもっと好きになるだろうし、考え方や感性に共感したり、
たとえ違っていたとしても認めることができやすいはずです。
しかもその作品が2度と作れないような一点ものであれば尚更です。

そういうことがあって、心と心が繋がりやすくなるのだと思います。

 

理由その4 ガラス花器の和紙継ぎ紙制作が楽しいから

work3

一番はこれにつきます。

時間が経つのを忘れ、ただ一心不乱に集中でき、魂が楽しいと感じる。
それが僕にとってはガラス花器であり、和紙継ぎ紙であったということ。
あまりにも楽しすぎて上の写真のように無意識に口が開いてしまっています(笑)

もちろん花を生けたり、水引オブジェを作っているときも同じ状態ですが
ガラス花器に和紙の種類や光の当て方や色によって違う表情が出るので
終わりがなく、常に試行錯誤で勉強の連続。

奥が深い、まるで道であるかのよう。
これが自分にあっていたということ。

これは美容師時代も同じように感じていたことですが
幅の広い美容の技術よりも、幅が狭く特定の技術をとことん追求する理容の技術の方が
性に合っていたので、技術の1つ1つをとことん極めていくことに楽しさを感じます。

ですが、楽しくてもやがて飽きるときがきます。
(正確には飽きるではなくて集中しすぎたり、インスピレーションがわかなくなった)

ただその時にすぐにまたやろうと思えるか。
大抵はその瞬間に何かに導かれるかのように気づくことがあり
その気づきを再現したくなる、その繰り返しで続いています。

 

理由その5 楽しいからこそ伝えられることがあると分かっているから

feel

現在オープン準備中のオンラインストアには
一般的な商品説明ではなく、自分が何を考えていて、感じているのかを綴っています。

これは制作のときに考えていることがあったり、
作り終えた後に感じたことでもあります。

ですが、この商品説明のように感じて欲しいと思っていません。

見た人、購入した人、飾った人がどのように思うか、感じるかは自由です。
それがその人の感性であるし、心と自然に(無意識に)向き合った結果だからです。

作ることが楽しくても、作っているときに込めている感情は
嬉しい、楽しい、悲しい、怒り、虚しさ、爽やかさなど色々な感情を
1つ1つ作品に入れています。

その通りに受け取るものがあればそうでないものも多く
作者である自分も予想がつきません。

でもそこには何か伝わるものがある、
それが自分には深いレベルで分かっているので、
自分のエゴで考えを押し付けることは絶対にありません。

だから自由に受け取って欲しいと思います。

 

心が動くことを大切にして欲しい

feel1

和紙継ぎ紙でも花装飾、水引アートでも共通していますが
作品を見て、心が動くことってすごく大事だと思っています。

心が動くということは、何かを感じていることの証拠ですし
なぜ心が動いたのか、その背景には必ず自らの経験や環境があるからです。

心が動いて感じたこと、それは無意識に蓋をしてきて
見ないようにしてきたことがあるから感じているかもしれないし
同じようなことを感じた経験があるからかもしれません。

そういったことに気づいて欲しい。

ゆえに、誰の心も動かないような作品は悪い作品と思っています。

心が動く作品を和紙継ぎ紙を施したガラス花器で表現していく。
自分の感性や感情をありのまま、飾らずに表現していく。

それがガラス花器を専門にやっていくときに決めたこと。

この記事以降はそういった等身大のありのままを表現していることに
注目して見ていっていただけたら嬉しいです。